かな~り遅ばせながらですが、ようやく拝見しました。
これまでのシリーズは全て観ていたのですが、これだけ観られていなかった(“マウスシールド付きの舞台”という、物語世界と現実のイヤ~なコラボを観たくなかったのだと思う)ので、本当にようやく。
まず一言。良かったです!!!!
あんまり~というご意見も読んでいたし、長いシリーズの新キャスト版初演ということもあって、個人的にもソワソワ感はあったのですが、不安の3倍くらいの満足感は得られました。
まあ、すべて手放しで大拍手、というわけでもないのですが…。
というわけで、毎度の如く、感想をべらべら語ろうと思います。すげぇ長いよ。
※舞台版に関して、初演(「その執事、友好」)から、一応すべて観ています。
※原作は、ちょうどこの辺まで読んでいましたが、大昔ですので記憶は間違っているかもしれません。
※一部、物語のネタバレを含みます。決定的な表現は避けますが、抵触は避けられませんので、ご了承ください。
王道的2.5次元ミュージカル
前回で、もはやグランドミュージカル半歩手前くらいまでいったシリーズが、ここに来て、「2.5次元ミュージカル」のしかも超王道的な形に戻ってきたなぁという印象が第一。
まあ、物語の内容上、当たり前といえば当たり前かと。
そもそも女性キャラクターの少ない作品の中で、超名門寄宿学校に潜入しようと言うのだから、環境的に女の子の出る幕はないし、成人男性ですら少ない。
だから、「じゃあもういっそ、がっつり2.5にしちゃうか!」という判断と演出は、間違いではないと思う。むしろ、その年齢を演じられるキャストだけでグランドミュージカルを目指そうという方が、ちょっと綱渡りな気もする。
前回までのノリで見てしまうと、どうしても「下がった」と感じてしまう部分はあるけれど、
原作が面白いから物語はもちろん面白かったし、役者さん方のキャラクター愛も十分感じられたし、そういう部分では全く見劣りしなかった。
「下がった」と言うより、「ちょっと方向性が変わった」と言うだけで、後はそれが合うか合わないかの問題だと思う。
また、今回初の「シエル俳優が成人」ということも話題になったけれど、これもこれで当然の判断かと。
今回は、これまでに比べて主従が離れていることが多く、必然的にシエルの単独行動の量と重要度が跳ね上がる。比例的に、セリフや動きも増える。「子役にはできない」とは言わない(大人顔負けのすごい子役だってたくさんいる)けれど、単純に、それを何公演もやる体力と精神力が問題だ。
それに、ここでシエルをマジ子供にしてしまうと、周りの役者の年齢ももう少し下げないと、1人だけ浮きまくってしまうと思うし。
成人と言っても、当時20歳とからしいし、サイズ的にも違和感はない。お顔も可愛い系だし、個人的には十分「坊っちゃん」に見えた。
クリケット大会で青チーム5,6人でいる時、監督生(大)、そのファッグ(中)、子分たち(中,小)みたいなサイズ感で超和んだ。
新感覚の新セバスチャン
初めましての立石俊樹さん。(お名前は知っていたけれど、ちゃんとお芝居観るのは初めて)
初代、2代目とかなり人気だったから、相当プレッシャーだったとは思いますが、いや、全くもって負けず劣らずな新セバスチャンでした。
特に、シエルへの態度がかなり新しかった。割とずっと穏やかに笑ってて、眉間に皺を寄せることほとんどなく、「やれやれ」にも楽しんでいる感が滲み出ている。
一言で言うなら、陽キャセバス。
でも、逆にそれが怖いなと。だって、こんな明るい雰囲気しといて、別にシエルといるのが本当に楽しいとか、シエルが愛おしくてたまらないとかではなくて、「餌が今日も元気で何より」ってことだもんね。それこそ、酪農家みたい。
本来の目的を隠そうとはせず、楽しんでいるのも、カモフラージュではなく純粋な本心である感じが、彼が「人間のサイコパス」とかではなく「悪魔」であるということを感じさせられた。
いや、お見事。立石セバス、とっても好きです。
あと、時々映るドアップがマジで少女漫画。
因みに、歴代に関して、個人的な印象をそれぞれ表すと、
初代:「人間って面白いですねぇ(暗黒微笑)」
2代目:「人間って(wwwww)面白いですねぇ(wwwwww)」
3代目:「人間ってすごーい!おもしろーい!おいしそー!」
という感じ。※個人のイメージです。
シエル(役者)との年齢差がいちばんあったはずの2代目が、いちばんシエルに優しくなかったな…。(シエルに雑用を押し付けられ慣れて、「どうせ私ですよね」って言うところ、2代目だったら盛大にため息つきそう)
純粋さ故の悲劇
今回の物語の核心である、P4の回想。事件の真相。これがかなり良かった。素晴らしかった。
先に、残酷な予告にはなりますが、この後、「ちょっとウーンだった部分」の話をします。かなりボロクソに書きます。「良かった」と言っておきながら、ボロクソに書きます。
しかし!それでも!この部分が本当に良かったので、自分はこの作品を“良作”と呼びます。それくらい、ここだけで観る価値があるくらい、素晴らしいシーンでした。
原作とは少しちがう表現になっていたのかな?だとしても、これは良い改変だったと思う。
※以下、物語の核心的なネタバレを含みます。お気を付けて。
ちょっと記憶が曖昧なので、確たる比較はできないのですが…。
確か原作だと、もっと盲目的な信仰心を感じさせられたような気がする。「この最悪を排除することこそが正義」という意志が何より勝るからこそ、「人を殺す」という大罪への恐怖を、やってしまうことで振り払おうとしている狂気。
端的に言うと、P4の「洗脳されている感」が強かったのが、原作だった。
(全然違ってたらどうしよう、ウケる。指差して笑ってください)
対して、今回の舞台版の彼らは、恐怖を払拭するためではなく、「もうこうするしかない」という諦念に突き動かされるように、その一手を下してしまう。序盤であんなに華やかに歌っていた、輝かしい“P4”を称える言葉たちの、何と弱々しく無意味なこと。
あんな、“冷徹実直”を絵に描いたようなブルーアが、ぐずぐず泣いているのだ。いつも叫ぶようにしゃべり、常に胸を張っていたグリーンヒルが腰を抜かし、レドモンドに手を引かれてよたよたと歩いているのだ。
もう痛々しくて痛々しくて、とてもじゃないけれど、直視できない。
ここまでのシーンでも、P4の4人は、絶対的な存在でありながら、どこかコミカルで温かみのある人間として描かれていた。「絶対的な存在」と言いつつ、結構ちゃんと下級生と関わるし、実家を鼻にかけることもない。クリケット大会にも全力で取り組む。
監督生なんてお堅いものではなく、(ちょっと極端に軽いかもしれないけれど)いっそ“お兄さん”感すらあった。
だからこそ、このシーンがより際立つ。
彼らは、学校が好きで、人が大好きだったのだ。自分のファッグはもちろん可愛いし、それ以外の寮生も、何なら他寮の下級生ですら、彼らは愛していたのだと思う。
と同時に、校長も、副校長も、デリックでさえも、同じくらい愛していた。それが悲劇だった。
悲しい哉、我々は彼らがあの瞬間感じた悲しみや怒りを、全くもって理解できない。
おそらくこの物語を見た人の中で、「え、それだけで殺すの?」という別方向の衝撃を、ほんの少しでも感じた人は一定数いると思う。自分だってそうだ。仮に同じような現場を目撃したとして、だからって「殺す」という選択肢は極端すぎる。
彼らの動機は、「伝統を傷つけられたから」だ。
なぜ彼らは、たったそれだけでデリックを殺してしまったのか。
答えは簡単で、その“たったそれだけ”が、彼らが生きるウエストン校という「社会」の“すべて”だったからだ。
その鳥籠の外にいる我々や、飛び入り参加のシエルに、そんな彼らの心情などわかるはずもない。あんなに苦しんで悲しんで、身を裂くような思いで下した決断なのに、わかってあげられない。
ついでに言うと、その“たったそれだけ”は、本当の社会に出れば、ある程度は効力をもって彼らを護ってくれるだろうが、盾になるばかりで、道を切り拓く剣にはなり得ない。こうして、下手な改革思想や海外志向なんてもたない「国の奴隷」が出来上がるという、さすがは英国きっての名門校である。
何が皮肉って、彼らは「これで学園を護れるんだ!」という心からの信念で、デリックと副校長に手を下したが、おそらくそれはほとんど無意味だということ。
汚染された川のゴミをいくら拾おうと、川は綺麗にはならない。各家庭に排水を出すなと約束させ、汚水を垂れ流す工場を根こそぎ閉鎖させるか、川の水をすべて抜くかしなくては。けれど、そんなこと、まだ10代の子供4人だけでは到底出来るものではない。
このウエストン校が、或いは、英国の階級社会そのものが、根本から変わらない限り、第2のデリックは生まれ、最悪の場合、第2の彼らも生まれてしまうのだろう。
正直、原作ではここまでの感情を受けていなかった。
この記事を書くために2回観たけれど、2回目に観た時、P4があまりにも愛おしく見えたし、だからこそ余計にこのシーンが哀れだった。
さて、予告通り、ここからはちょっとウーンだった部分について言及していきます。
当然、マイナスな話がてんこ盛りになりますし、自分はお構いなしにボロクソ書くタイプの人間ですので、どうかお気を付けて。
良くも悪くも「2.5次元ミュージカル」
前述の通り、今回の物語を、2.5次元ミュージカルとして演出したこと自体は正解だった。
ただ、言いたい。
何も、2.5の悪いところまで全部持ってこなくていいのよ。
とにかく、すべてがうるさい。
これ。
まず、速い。
何をそんなに急いでいるの?と思うくらい、常に早口でまくしたてる割りに、滑舌が仕上がりきっている役者は少ない。まあ前後の文脈で、何を言っているかは大方予想できるけれど、何でこっちが予想してあげなくちゃいけないんだ。
ついでに、歌も速い。音楽そのものはもちろん、展開も速い。
お陰様で、歌中のセリフに行間がない。
例えば、
「あなたのお名前h」
「僕の名前はシエル。シエル・ファントムハイヴ」
速い。行間があまりにもなさすぎて、“会話”として成立していない。音楽が速いものだから、そこに収めるために速くしゃべらなくてはいけない、という最悪のドミノ倒し状態。
プラス、ずっとでかい。
「その距離でそんなでかい声でしゃべるかい」というのは、舞台において、演出と演技力で上手につかなくてはいけない“嘘”なのだけれど、その“嘘”の何と下手なこと。
他がバカスカでかい声でしゃべるから、声がでかい“設定”のグリーンヒルが更に声を張り上げなくてはいけなくて、とてつもなくかわいそうだった。喉潰さなかった?お大事に。
で、音楽もでかい。でかい上に、ほぼ曲調が変わらない。
特に序盤。ほぼ変わらない曲調で、ほぼ変わらない構成(ずっと全員で大合唱)の中、説明をぜーんぶ歌で済ませようとするのだけれど、そんなんで頭入ってくるかい。と思ったら、同じようなことを3回くらい歌う。ワァ、親切。じゃねぇのよ。
1幕ラストの合唱は悪夢だった。コーラスの構成してるのに、コーラスしてないことなんて、そうそうない。
更に、めっちゃ動く。もうこれが気になってしょうがない。
特に曲中、ちょっと動きすぎ。何か、特に必要でもなさそうな腕の動きも多いし、あっちゃこっちゃと1曲でセット何周するのよ、主従。演出に、止まったら撃ち殺すとでも言われたのか?
あと、ダンス。まあ、セバスチャンや学生たちがばんばん踊るのは、まあ、見逃せる。
シエルがガツガツ踊るのは違うじゃん。運動も社交ダンスも苦手で、小児喘息もちだぞ。前回のリジーとのダンスのたどたどしさが100点満点だったから、余計に違和感。
お陰で、髪が乱れる乱れる。今回はセバスがあまり一緒にいられないから、ちょこちょこ直してあげられないから、もう放置するしかないという…。
もしこれが現代劇だったら、まだ少し我慢できた。
「黒執事」だからダメだった。
だって、今回登場するキャラクターたちは、ほぼ全員が「超いいトコのお坊ちゃん」だ。そんな人たちは、何かに急き立てられるようにしゃべらないし、せわしなく動き回らない。マナーに反するからだ。
(これまでの、マダム・レッドやミッドフォード伯一家、ドルイット子爵と比較すればわかりやすいと思う)
前回が「まるでグランドミュージカル」と評されるのも、ゆったりした立ち居振る舞いやしゃべり方で、“風格”を見事に表現していたからだし、「ここは出す、引く、巻く、伸ばす」という技術を、惜しみなく使っていたからだと思う。
この速い・でかい・動きすぎのせいで、
こんなにも人の情緒に訴えてくるテーマを孕んでいるはずなのに、情緒がない。
演出や歌唱指導から、そういう風にやれと言われたのか、はたまた、彼らの技量の問題なのかはわからないけれど、もし次回があるのなら、どうにかこの問題は解決してほしい。
観終わって頭が痛くなった。
アンダーテイカーの扱いが軽い
もったいね~~~~~~~~!
一応、今回のラスボスだよ?!?!?!
10年携わってきた和泉さんからバトンを受け継いで、いきなり物語のキーパーソンで、役者さんも気合入ってただろうに。
もっと丁寧に扱ってくれ~~~~~~~~~!初っ端の謎ダイジェスト削って、ここに欲しかったよ!!!!(何で今までなくても話通ってたのに、あんな情緒の欠片もないもの入れたんやろ。ファンサ?センスないよ)
冒頭からいきなりがっつり出てくるし、何なら謎のタイミングで突然オンステージ始まるし。もう「私、黒幕で~す!」って言ってるようなモンやん、あれ。
前々回のケルヴィンなんか、2幕の途中まで影どころか名前すら出なかったんだぞ。だからこその凄まじいインパクトだったし、原作を知ってて、来るとわかっていても強烈だった。
最後の対決もすぐ終わるし、めっちゃあっさり帰るし。前回の比重が凄まじかっただけに、(もちろん前回より多少軽くなってしまうのは仕方ないんだけれど)がっくり感がすごい。
彼の、ビザールドールへの執念も見えてこないし、本当に情緒がない。
あ、でも、帽子取ってブワサァッのところはめっっっっちゃ良かったです。演出的にも、役者さん的にも、きっとこだわりポイントだったんだろうなと。
すごい幻想的に魅せてくれて、ありがとう上田さん。
歴代級の謎キャスティング
前述で、演技力だの歌唱力だの指摘したけれど、ぶっちゃけ今作においてそれらの優先順位はそう高くない。
なぜなら、これは「2.5次元ミュージカル」だからだ。
いちばん大事なのは、「キャラクターに合っているか」。具体的には、顔の造形や体格、声質、年齢。ここが最も優先されるべきだ。
その上で。
なぜあのキャスティングだったんでしょうか。
ソーマ・アスマン・カダール
だって、CV. 立花慎之介だよ?ちょっとハスキーで高めの10代半ば声の立花慎之介だよ?
実際シエルとも年齢が近いし、そうでなくとも、ウエストン校に入れるくらいの年齢なんでしょ。
おっさんじゃん。
せめて、細身で華奢で小柄な方だったら、もう少しそれっぽく見えただろうけれど、めっちゃ肩幅あるし胸の厚みもあるし、“重さ”を感じずにいられない。
声も、すっごい無理して出してるような感じが、見ていて苦しい。途中からジャイアンに見えた。
どっからどう見てもおじさんなのに、どっからどう見てもピッチピチのシエルに、「俺たち親友だもんな~!」してるのだいぶアレだった。
というか、この役よくOKしたね、岡田さん。(まさかオーディションとは思えないので、オファーだったと仮定)
だって、それこそグランドミュージカルで帝劇とか立ってるし、そもそも劇団四季出身で、「ウィキッド」のフィエロとかやっちゃってるすごい方なんですよ。大丈夫?めっちゃ経歴に傷ついてない???
もし、ソーマ役にすんごい歌唱力が必要だった、ということなら、このキャスティングもわかるんだ。別にそうでもないじゃん。
も〜〜〜ソーマ大好きなのに、残念すぎた。前任の陣内さんが、シエルとの年齢差をあまり感じさせないくらいキラッキラに魅せてくれていたので、余計に残念。
役者さんは何も悪くないのに、どう書いても役者さんが悪いみたいになってしまうのが悲しい。でも本当に最悪だった。
“象”もさぁ…。シエルと同い年くらいの20代俳優なら、肩車したりリフトしたりして、象に代わる華やかなパフォーマンスできたでしょうに。
あと他だと、マクミランの芝居が、見ていてマジでキッツかった。
「悪魔で」執事ですから
立石さんの新セバス、かなり良かったのだけれど、1つだけ指摘したいのが、全体を通して、「セバスチャンの本性は悪魔である」という大前提がかなり薄いということ。
演技のみでなく、演出や脚本も込みで。
これも、速い・でかいの弊害でしょう。
セバスチャンが悪魔であることを語る歌はあったはず(記憶がない)なのだけれど、それも他の曲と同じく、超スピードで、すったかたーと流れていってしまった。
“それ”を匂わせるような、ゆったりとした場面、台詞回し、空気すらもなく、終始他との会話と大差ないテンションで会話する。
それこそ、先代がかなりがっつり「悪魔」していたので、どうしてもそれを期待してしまうのかも。この聖母セバスの獰猛さも垣間見てみたかった。
ついでに言うと、「ミカエリス先生」との差もあまりなかった。
まあ、いいんだけれど。ぶっちゃけ、セバスチャンが悪魔かどうかということは、寄宿学校の秘密に迫る本筋とは、さほど関係ないし。それを出す部分も少ないし。
ウーン、でもねぇ…。
それがなければ、「黒執事」ではないんだよねぇ。
立石さんが比較的柔らかいお顔立ちで、それこそ陽の雰囲気を纏っているセバスだったので、「悪魔」してくれないと、ただの「有能な執事の話」になってしまう。
お茶会でシエルがセバスを呼ぶのに、端っこで眼帯ぺろっとめくって「セバスチャン」と呟くだけだったのも、かなり残念。叫ぶほどではないにしても、もう少し魅せ方ってモンがあるでしょうに。
ウーン、やはり情緒。
そんなわけで、寄宿学校編でした。すんげぇ長くなった。
後半ボロクソ書いてしまったので、改めて釘を刺しますが、全体としては良作でした。何だかんだ言いつつ、何度か観返すと思います。
しばらく音沙汰ありませんが、次回公演はあるのでしょうか。
シエルはどうしたってキャスト変更になるでしょうが、せっかくの新感覚立石セバス、ここからもっと育っていくでしょうし、単純にもっと観たい。
ただ、もし先に進むとして、この2.5の王道パターンを継続するのは難しいですよね。それこそ、「黒執事」の持ち味をぶち壊してしまう。かと言って、グランド寄りに戻すのならば、それ相応のテコ入れが必要なのも確実。
しかも、話を先に進めるのなら「緑の魔女編」。どーーーーーー改変したって、幼女は必須。めちゃくちゃ比重の大きい、キャラクターの重みの凄まじい幼女が。(大昔にちらっと見た程度なので、細かいところは忘れてしまいましたが…)ウーン、大変。
観たいような、観たくないような。そんな気持ちです。
とりあえず、春のアニメは観ます。P4のCV楽しみだな~。